最近、暖かくなってきましたよねっ、嬉しい!!!久しぶりのコラム登場で、ある映画を観て感じた事でも書こうかと思います。
“伝える” 難しいですよね。本音、伝え辛いですよね。伝えたら嫌われるんじゃないかなとか、私なんてどっちでもいいよな、相手の荷を増やしちゃうんじゃないか、今言ったら空気を壊すんじゃないか、なんて。
そんな風に考えて、言葉にするのを諦めてたら喋るのが下手になって、伝えるのが怖くなっちゃって。勇気、あったらいいなー、
“向き合う”
現実から逃げてたんです、自分とも向き合えてなかった、弱いな、自分。変わらない未来と、進み続ける時間。時々立ち止まるんです、“これで良かったんだよね”自分を肯定させるしかなくって。どうしようもなくなっちゃうんです
壊れるか壊れないかギリギリを常に保って。
“小さなモヤ”
ここが原点なんですよねきっと。
小さな変化に気付いてないフリをして、苦しんで
私間違ってばかり。
誰かが言ってた、『失敗しないと成長しないんだから!』そんな言葉を頼りになんとか生きてます
だけど、“言えない”そんな状況もあるんです。
言えないことが言えるようになるのが大人なんでしょうか。ロジックで全てを解決させなくてはならないのでしょうか。
私はきっとそうではないと思ってます。
言う・伝えることに助け舟が必要な時があって。
けどその船が来ない事もある。そのまま、暗くて寒い無人島で生きることに慣れて、ココロを壊してしまう事もある。そんなことになったらもう手遅れ。
そうなる前に、私は誰かの小さなSOSに気付けるような人になりたい、小さな誰かの心の傷に気付けるような関係を築きたい、そんな環境や状況を作ってあげたい。
言えないことが言えるようになるのが大人なんでしょうか。ロジックで全てを解決させなくてはならないのでしょうか。
私はきっとそうではないと思ってます。
そんな、誰かの小さなモヤや、お二人の小さなモヤ、微かに聞こえるSOSに気付ける人になりたい。これから、チームとして小さなモヤこそ敏感に、何かあったら見つけて暖かい船を出してあげたい、相手のココロを温めて守ってあげられるそんな存在で居たい。
ワンダー君は太陽の影響でこんなことを書いていますが、一つの映画からこんなに感情を揺さぶられて、深く考えるきっかけになりました。
もし時間があったら見てみてください^_^